2013年10月18日

ヒラリーが語る王立軍事件

 毎年卓越した国際的外交官を表彰する、英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)からの表彰を受けるため、ロンドンを訪れていたヒラリー・クリントン前米国務長官。

 授賞式前に。退任してから初めて在任当時の米国外交を回顧。中国に話が及ぶと、王立軍が政治保護を求めた昨年2月の状況について語りました。





 youtubeにもやり取りがupされています。CCTVは当該部分を翻訳してくれているのが気になるところ。文匯報や大公報の記事にあるのはこれの転載ですね。

 オリジナル記事の財新は記事が消されちゃってるのですが、後述する理由の通りだと思います。

ヒラリー「王立軍は薄熙来の殺し屋」(財新 2013/10/17)

 王立軍は2月6日に成都の米国総領事館に現れて政治保護を求め、薄熙来の妻がヘイウッドを殺害したと明かしてきたといいます。

 薄熙来と仲違いした王が身の安全を確保するため領事館に入ると、まもなく領事館も武装警察に包囲されたとのこと。注目は「彼らは薄の部下ではなく」という発言。

 重慶市から出されたのではないのであれば、やはり政法委から借りたということになるでしょう。

 ナンバーが重慶市の略称である「渝」ではなく、武装警察(Wuzhuang Jingcha)の車両を意味するWJだったり、四川省の略称である「川」だったのか。あるいは、部隊が名乗ったのか。いずれにせよ、財新記事が削除に遭った理由でしょう。

 領事館からロック大使を経由して、本国のヒラリーへ報告が入り、事件の処理に当たっています。領事館は政法委麾下の車両が隙間無く取り囲み、領事館には複雑な事情を抱える王立軍と、少数の武官。状況が緊迫しているなんてものではありません。

 米国が出した回答は、外国人に与える政治的保護のいかなる条件にも当てはまらない、というもの。

 ヒラリーは「彼は汚職と残忍さを持つ、薄熙来の殺し屋だ」と付け加えたようですが、王立軍には事件当時そういう話は無かったので、現在の感想ですね。

 王は真相を北京に真相と何が起きたか連絡するよう求め、これに応じたとしています。

 財新は「事件発生の1週間後に、当時国家副主席だった習近平の訪米があった」と付け加えていますが、訪米を控えて事態を大きくしないため王立軍を引き渡したことになっていました。

 王立軍事件については色々噂が流れたのですが、事件当時の国務長官が一連の噂を一部認めたことになります。

 興味深いのは、重複になりますけど、領事館を囲んだのが薄熙来の部下ではない、と言い切ってる点です。

 薄熙来や王立軍については、私にとって見れば既に終わった事なので、新事実が出てきても関心が湧きませんが、周永康ネタであれば話は別。ヒラリーの事実認定で、再度周永康の周辺が騒がしくなるのでしょうか。
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2013年10月09日

結局周永康と薄熙来ってどういう関係なのよ

 遅まきながら、薄熙来裁判の一審判決が出ました。控訴したのに、その後が聞こえてきませんけど、どうなるんですかね。

 結審の時や、一連の薄熙来事件で書いた内容と豪快に重なる部分もあり、妄想で構成されている部分が大きいのはご寛恕下さい。

 薄熙来裁判で注目していたのが、事件当時政法委トップだった周永康の、薄事件への関与が言及されるかどうかでした。薄熙来の刑の軽重は、党籍が剥奪された時点でどうでもいいですからね。

 しかし、罪状の1つであった職権乱用には、パトカーや装甲車を駆って成都の米国領事館を包囲した件は含まれていませんでした。

 「上級の指示」に従ったと弁明する薄熙来。もちろん上級たる周永康の名前が出ることはありませんでしたが、裁判所公式微博から削除された内容を信じるとすれば、王立軍の治療的休暇は「上級の指示」ではないものの、「上級の指示」自体は存在した事になります。

 政治局委員であった薄熙来の上級は、政治局常務委員以外にありえません。それが周永康だった可能性は非常に高いのです。

 周永康は、王立軍の休暇的治療が発表された2月8日に、重慶市で開かれた政法系の会議に出席し、薄熙来は周永康を「永康書記」と呼んで親密さをアピールしていました。まあ、最高人民法院院長だった王勝俊も「勝俊院長」と呼んでいたわけですが、普段はなかなか見かけないので、珍しいなと思ったものです。

薄熙来、重慶市党政府代表団を率いて雲南視察 重慶、雲南が手を取り合い、共に発展を(重慶日報 2012/2/11)



 周はこの後北京にとんぼ返りしますが、薄はそのまま昼から雲南省を視察し、父・薄一波が建軍に参与した旧十四軍が前身の「駐雲南の某軍団」を視察。

 雲南入りは、端から見れば周永康と薄熙来の決起集会にしか映りませんし、王立軍事件におけるパトカー出動は明らかな軍事力の無断行使。

 この2つが決め手となって、両会最終日の温家宝による「重慶市の指導者は反省すべき」批判、そして翌日の重慶市委書記解任へと繋がったのです。周と薄の命運は王立軍事件と、薄の雲南入りがあった2月8日に決まった、と私は考えています。

 仮に、王立軍事件で薄熙来が周永康に助力を頼み込み、領事館を包囲していなければ、薄熙来は部下の管理が出来ない無能扱いはされても、党中央入りを狙う野心家として裁かれる事は無かったのではなかった。

 せいぜい王楽泉と同じように、重慶市委書記を解任され、全人代副委員長か政協副主席あたりで党大会を迎え、何事もなく引退していたのではないでしょうか。

 2人の関係が明るみになれば、周を追い落とすのは決定事項となり、これまで30年以上不可分だった常務委員経験者から逮捕者を出すことになります。薄熙来と同時に反逆者認定まで一足飛びに踏み込めなかったのです。

 常務委員から逮捕者が出れば、党中央の分裂を明かす事になり、また軍事クーデター未遂も明らかにしなければなりません。これは無理でしょう。多分。

 ただし、周外しは露骨に行われていて、政法の仕事は孟建柱が主催するようになり、政法にまったく関係のない海外からの賓客の相手をするなど、前倒しで権力移譲が進められていたのは明らかです。

 また、党大会後に引退した常務委員の中で、飛びぬけて露出が多いのです。温家宝や賀国強は全く出てきていませんし、胡錦濤でも2,3回のはず。周永康は少なくとも6回名前が出てきます。

 もちろん新華社などの正式な扱いは無く、母校の中学訪問は2ヶ月くらい放置されるわ、葬式では江沢民や李克強をすっ飛ばして名前を出させるわ、不可解な報道もありました。

 周永康は薄熙来方面からだけではなく、古巣の石油部門や、かつて省委書記を務め、石油部門からお気に入りを抜擢した四川省の大物が相次いで双規処分を受けている事もあり、生存証明を出し続ける必要がありました。

 生存証明を出していたり、党中央への服従を誓っても、薄熙来のように党籍を剥奪される時はされてしまうので、安全証明にはならないのは常識。最近では周小川くらいですかね。

 最新の生存証明となっている母校・中国石油大学の訪問は出来たものの、大学公式のイベントには欠席。イベントに出席し、大合唱していたのは呉儀でした。
(中国石油大学60周年式典 呉儀、観衆が合唱 2013/10/4 南方都市報)

==周永康関連==
中国石油への調査は続く(2013/9/12)
周永康失脚はカウントダウンか(2013/9/2)
最新序列の変動と周永康の「復権」(2013/7/25)
周永康の現状(2013/7/3)
周永康の腹心が双規に(2013/6/25)
薄熙来裁判雑感1:「黒幕」周永康はどうなるのか(2013/8/27)

 しかしですね、ここまで書いておきながら、「周永康は薄熙来と密接な関係」ですという前提に疑問が。

 私もそういうものなのかと既成事実として捉えていましたが、よく考えたら納得のいく説明を見たことがありません。

 一部で言われていたように、「兄弟」なだけでは説明が付かない。もっと深い利害関係がなければ、ここまで庇えないはずです。

 直接周永康が関った、政法委から公安車両を出して、王立軍が逃げ込んだ米国領事館を囲ませた危険度マックスの事件。確実に国際問題に発展するのは誰でも分かるはずなので、リスクがありすぎます。そこまでせざるを得なかった動機が、見当たらないのです。

 それこそ「上海の地下党員時代付き合っていた女を日本人に寝取られた恨みで、後年反日政策に振れた江沢民」(by御家人さん。)や、周と薄が「弟兄」的な関係(私は「同志」的な意味で捉えています)など、個人的な動機か弱みを握られてでもないと周が薄を支援する理由がありません。

 その動機は、周が双規処分を受ければ、追々明らかにされていくのかもしれませんが、「周双規処分」は今のところSCMPの勇み足と考えられますので期待薄です。

 江沢民死去誤報の時のように、SCMP内部で処分があったという話は聞かないので、周がそういう程度の扱いとも言えますけど。

 周は3月の両会開催中に重慶代表団を訪問し、重慶市の業績を賞賛しています。

 ここで政法委と重慶市の連係プレーだったことが明かされているのですが、この時点では、まだ薄熙来の失脚は確定事項ではなかったのでしょう。重慶に、周永康が当てられたのは偶然なのか。

 などと、色々書いてきましたが、結論としてはやはり周永康が薄熙来を庇った理由は見つかりませんでした。

 もう1つ。王立軍事件が起きた後も薄熙来の片腕となって、失脚の直前までかいがいしく動いていた黄奇帆市長です。

 陳良宇が上海トップだった頃の韓正もそうでしたが、双規処分を受けた書記に付き従っていた市長が無傷なだけではなく、中央委員に昇格している点に違和感が残ったままです。

 影響を抑えるため不問としたのであれば、それはそれでいいのですが、中央委員に昇格させているので何か評価される点があったのでしょうか。それにしては、韓正のように重慶の書記代理を任される事も無く、信用度はイマイチのようですが。
posted by aquarelliste at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 薄熙来 | 更新情報をチェックする

2013年08月29日

薄熙来裁判雑感2:最初から厳罰にする力は無かったか

 やるやる詐欺で2日開いてしまいました。前半は周永康に話題が流れてしまいましたので、後半はちゃんと薄熙来の話をします。

 約1年前、薄熙来が紀律違反で党籍をはく奪された際に、いま読み返すと自分でもなかなか良い事を書いていたので、再度書き出しつつこれまでを振り返ります。(薄熙来の党籍剥奪雑感 2012/9/28)

 薄熙来の紀律違反は、王立軍事件とヘイウッド殺害事件の2つを調査する中で発覚したものです。

 王立軍事件とヘイウッド事件で職権乱用を行った
 職権を利用して他人に利益を図り、巨額の賄賂を得た
 多くの女性と異常な関係を結んだ
 組織人事紀律に違反し、人材登用で誤りを犯した
 以上の4点が紀律違反の内容となっています。「女性との異常な関係」については犯罪ではないので薄の容疑から外れ、容疑は汚職、贈賄、職権乱用となりました。

 ただし、紀律違反の記事でも確認できるように、職権乱用は王立軍事件とヘイウッド事件でのものでいわば従犯。それが紀律違反の一番最初に据えられているのです。

 メインがこの程度なら、汚職や贈賄の規模が大したことないのは当然で、汚職容疑で同様に政治局委員を解任された陳希同や陳良宇と決定的に異なるのはこの点です。

 上海市党委書記を務め、薄と同じく政治局委員だった陳良宇は、上海市都市会社の株を安く売り渡して3億元以上の損失を出し、市の社会保険基金から10億元を近しい会社に融資させ焦げ付かせかけたりで、被害総額15億元と桁違いの破壊力を見せつけました。

陳良宇、一審では2つの罪状で懲役18年(新華社 2008/4/11)

 対する薄熙来は収賄2件で2179万元、横領500万元(約2億7000万円)。直近で収賄罪となった劉志軍(元鉄道部長)でも6460万元と、薄の金額はどう考えても小さい。それも、妻の谷開来や瓜瓜経由でというものが多く、薄熙来が直接集めた金額は上記から更に減るはずです。

 陳良宇が実際に横領したのは約239万元で、懲役18年ですから、汚職で得た金額の多寡で懲役が決まるわけではないのですが、その気になればその金額は操作することなど造作も無いはず。

 不正蓄財で60億ドル(当時のレートで約4800億円)と報じられていながら、最終的には99%以上の下げ幅となりました。かなりの温情が含まれています。

 四人組、陳希同、陳良宇の処理は、最初から最後まで同一政権で行われたのに対し、薄熙来の解任を決断し、容疑を固めたのは胡錦濤時代の末期でしたが、どの程度の量刑にするかは前述の3組とは異なって習近平に委ねられました。

 胡錦濤時代に出た紀律違反の結果も軽い内容でしたが、これは胡が陳良宇のように攻め込めなかった結果で、単なる上海閥の次世代のホープと、薄熙来の党内に対する影響力の違いなのだと思います。

 習近平が出した罪状は、ベースとなる紀律違反の内容よりさらに軽いものになりました。
 
 それが周囲の太子党に押し切られたからなのか、周から孟建柱への権力譲渡を前倒しで行い、ひとまずは安泰となったからなのかはわかりません。

 一括りにされがちな太子党の中でも、そりが合わない者同士というのは確かに存在します。習と薄の父親同士がそれで、薄熙来と4歳下の習近平はあまり合わなかったと聞いていますが、それでも最後の最後で身内は切れなかったということなのでしょう。
 
 判決は9月中に出るようですが、習が9月13日まで外遊なので、それ以降となる見込みです。

 薄熙来の答弁について1つだけ。

 王立軍の領事館への逃亡について、公判中だけでなく、逃亡が発覚した後の昨年3月にも、薄は「恥ずかしい」と発言していました。少なくともこれは薄の本心なのだと思います。

 最後に、薄熙来復活の可能性について。

 鄧小平は3度失脚し、3度復活したなどと言われますが、鄧小平に対する処分は党内のもの。死後に名誉を回復した劉少奇も、全ては党内の処分であり、何らかの裁判にかけられたりはしていません。有罪になった64歳の元党員を復活させるような余力は、中共には無いでしょう。
posted by aquarelliste at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 薄熙来 | 更新情報をチェックする

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