2016年02月19日

「華国鋒銅像を守れ」に住民が集結

 毛沢東の死後に党主席を務めた華国鋒は、2008年に死去した後、地元である山西省呂梁市交城県で建設された墓にその遺灰が納められています

 建設に当たっては「田んぼを占有しないこと、民衆と争わないこと、環境を破壊しないこと、旧跡を傷つけないこと」との華の遺言に従いつつ、(「規模については何も言ってないな」と同地の官僚が思ったのかはさておき)、総面積4260平方メートルと、墓と呼ぶにはあまりにも巨大な陵墓になりました。

 建設が完了した2011年には、1億元を費やした、地元の玉が使われた、総面積は10万平方メートルだ、などの批判に対しては、「1200万元しか使ってない。中央からの補助はない」(建設責任者の白慶峰・県民政局副局長)と反論。

 上級の指導部、つまり党中央や山西省、遺族の要求は満たしているのに、何も知らん訳知り顔の奴らになんで文句言われんとあかんのじゃいという当人の声が聞こえなくもありません。

 中国青年報も「個人崇拝を助長する」と批判的でしたが、結局中央がゴーサインを出しているのだから県を批判するのはお門違いですよね。

 党主席経験者の墓という「愛国主義教育基地」、「紅色旅行基地」を、1962年に建設された晋綏辺区革命記念館や、同時に着工している英雄記念広場と合せて観光地化し、収入を増やしたいとの思惑もあったのでしょう。

 その陵墓に建てられた華の銅像を巡って、住民と公安が衝突する騒ぎとなりました。

呂梁市で1万人が「華国鋒を守れ」で終結 市側「銅像撤去は既に停止」(新浪新聞極客 2016/2/18)



 17日午後10時ごろ、「銅像が撤去される」「銅像の周囲に足場があるのは深夜に解体するためだ」と微信で情報を掴んだ、住民1万人以上が英雄記念広場に続々と集まりだしました。

2016021901.jpg
※華国鋒さんの銅像

 陵墓建設中、同広場は華国鋒記念広場の名称で工事が進んでいたものの、英雄広場と名称が変更されたため、既に完成していた銅像も文字通りお蔵入りになっていました。今年の1月27日にようやく陵墓に鎮座したのです。

 撤去の一報が流れると、「華老(華国鋒への敬称)は交城の誇りだ。なぜ撤去するのか」(出稼ぎ中のおじさん)となって、国歌斉唱や「保華(華国鋒を守れ)」「命にかけて老華の尊厳を守れ」などと書かれた横断幕が飛び交い、老人が演説するなどいつもの展開になり、駆け付けた公安と衝突する事態に発展。

 特に2月16日は華国鋒生誕95周年の記念日でもあったため、現地住民の強い反発を招いたと見られます。旧正月明けだからなのか、爆竹も大量に鳴って一時は火事のようになったようです。

 呂梁市宣伝部は銅像の撤去は既に停止したと宣言しています。図らずも微信の情報が確認されたわけですが、なぜ撤去の運びになったのかは現時点では不明です。




 先月、ゴールド毛沢東の36メートル銅像が未申請を理由に解体されており、今回も同じ理由ではないかと考えられます。
ラベル:華国鋒
posted by aquarelliste at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 消息 | 更新情報をチェックする

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